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沖縄空手剛柔流
5月 22nd, 2007 by icofit

沖縄空手剛柔流

現在、高校時代に習った剛柔流空手の練習内容を改めて整理しなおしているところですが、すでに卒業後23年も経過していることから記憶がはっきりしない部分があります。
ネットで検索したり、いくつかの書籍に当たったりしたのですが、私が初めて習った型の普及型第一、その次の普及型第二という型がどうもみつからないのです(剛柔流開祖 宮城長順先生創作の撃砕第一、撃砕第二をもっと簡単にしたような型です)。また、先輩方が鹿児島の地方大会で演じていた撃破第一、撃破第二という型、私が得意とした鶴破第一、習うことがかなわなかった鶴破第二という型もなかなか見つからない。鶴破第一は、私が日本大学文理学部体育学科(当時)を受験する際に、受験科目の一つとして自分で選んで演じたこともある思い入れのある型です(合格したのに、体育科には行かなかった…)。
撃破については金城嘉孝先生により月刊空手道に紹介されたことがあるということはネット検索で見つかりましたが、鶴破に至っては唯一、渡口政吉先生の尚礼館(尚礼舘)で教えられていた、という情報が見つかっただけです。

そういえば、1990年頃にも、自分が習った空手を整理しようと試みたことがあり、その中の書籍に尚礼舘に関する書籍があったような気がしました。そして見つけたのがこの『沖縄空手剛柔流』です。
ここに、撃破第一、撃破第二、鶴破第一、鶴破第二という型が渡口政吉先生により創作されたという記述を見つけることができました。渡口先生は8つの普及型を作り上げたそうです。宮城長順先生の撃砕第一、撃砕第二と合わせて普及型が10個になるとのこと。

高校の空手道部は比嘉世幸先生の系統で、母体となる道場も尚礼舘ではありませんでした。また、少なくとも鶴破一は、微妙な差はあってもほかの剛柔流系の空手道部の生徒も演じていたことを記憶しています。空手界の横の交流によって伝わったものでしょうか?
ちなみに当時私が所属した空手道部もしくは師範(監督)の道場、本部道場で練習されていたのは以下の型でした。

【普及型】
(1) 普及型第一 ○
(2) 普及型第二 ○
(3) 撃砕第一 ○
(4) 撃砕第二 ○
(5) 撃砕第三 ○
(6) 撃破一 ○
(7) 撃破二 ○
(8) 鶴破一 ○
(9) 鶴破二

【古式の型(と部内では呼んでいた)】
(1) 砕破 (サイファ) ○
(2) 征遠鎮/制引戦 (セイエンチン) ○
(3) 十三 (セイサン)
(4) 十八 (セイパイ) ○
(5) 三十六 (サンセイルー)
(6) 士壮鎮/四向戦 (シソーチン)
(7) 久留頓破/来留破 (クルルンファー)
(8) 一百零八 (スーパーリンペイ)

【鍛錬型?】
(1) 三戦 (サンチン) ○
(2) 転掌 (テンショウ) ○

○が付いている型は私が高校時代に習うことができたものです。
撃破一、撃破二は記憶が曖昧で、多分自分が今通してできている(体が覚えている)のは撃破一のような気がします。これは識者に確認しないとわからないですね。鶴破一は今でも動きを覚えています。
渡口先生の門下では「鶴破第二」のあとに「白鶴」という型もあるようです。
このほか、本部道場の館長が鹿児島県大会の型試合用に送ってくださった「龍拳」「虎拳」という型もありましたね。はっきりと記憶していないのですが、前者は鹿児島の県大会、後者はそのあとの九州大会以降で演じた記憶があります。今では実演可能な型が制定されているはずで、このような創作型で大会に出るようなことはありえません。当時の私たちも受理こそされましたが、翌年からは一般的に認知された型でエントリーするように言われた記憶があります)。これらの創作型はクルルンファーとスーパーリンペイから一部抜き出した技術を組み合わせたもので、難度が高く、残念ながら私も部分的にしか記憶していません。

とりあえず、この書籍で撃破と鶴破についての記述を見つけることができ、ちょっとほっとしました。

また、この書籍の重要なキーワードとして「解裁」という言葉があります。古流型の各動作を先人が意図したと思われる実用法として、2人で行う組み手に再編成し直すことだそうです。もちろん私たちもその一部は習いましたが、たまたま私たちが習った解裁は、この書籍では「誤った解裁の例なのだそうです。型を見たままの分析しかしなければ、本当のことはわからないといいますが、でもある程度まで技量を高めた方々がそれぞれ違う解釈をされているというのは、「型がどうにでも解釈できる」という特徴を持っていて、「本当はなにも隠されていないものを発見したように勘違いしてしまう」危険もあるのだということだと思います。

※ 高校時代の私たちは「かた」のことを「形」と表記していましたし、高校の競技でも「個人形」「団体形」と表記するようですが、「型」と表記する場合も多いし、私はそちらのほうがしっくりくるので「型」と表記しました。

空手道入門 (1977年)
5月 16th, 2007 by icofit

空手道入門 (1977年)

最近のこのコーナーの傾向を見ておわかりかもしれませんが、最近になって昔入手した空手道関連の書籍を次々と引っ張り出しては読む、ということを繰りかえしています。
前回もかなり古い書籍でしたが、今回はその10年後に出版された書籍です。題名は同じですが、こちらは当時は30代の、若手ともいえる先生方の共著で全く別物です。
松濤館流空手道の書籍とあって、貴重な船越義珍先生の昭和5 – 27年頃の模範写真・指導写真3枚が掲載されていたのが興味深かったです。
少し前に『義珍の拳』を読みました。この読み物には義珍先生本人の技術と後世に伝わる技術が乖離していたという見解が書かれているので、この写真からそれが確認できないか、凝視してみたのですが…。残念ながら、実際に演武していた写真は2枚しかなかったのでそれを確かめることはできませんでした。

それぞれの写真は大きくはないですが、13種類の型が紹介されており、対人の分解もなかなか豊富です。

私がこの書籍を見て一番驚いたのは、私が高校時代に所属していた空手道部の体力作りカリキュラムが、この書籍に紹介されているものとほとんど全く同じだった、ということですね。私が習っていた空手の技術そのものは剛柔流だったのですが、当時の先生が小林流でも7段位くらいまで持っていた先生だったので何らかの接点があったかもしれません。あるいは、先生もこういった書籍を参考にしていた可能性もあります。ストレッチをのぞき、今はほとんど行わなくなってしまった鍛錬法ですが、とても懐かしく思いました。

空手道入門 (1967年)
5月 16th, 2007 by icofit

空手道入門 (1967年)

私が武道に一番最初に興味を持ったのは、私が鹿児島県西之表市に住んでいたときですので、おそらく最古の記憶がある3歳から7歳くらいの間のことだったと思います。
当時母方の実家のお風呂は五右衛門風呂で、毎日薪や板を燃やしていました。ある日、近くにいた父が厚さ1cm程度の板を左手の上に載せ、反対側の手刀を振り下ろして真っ二つにしてしまいました。あまりに見事に、あっさりと割ってしまったので「もう一回見せて」と私が頼むと、何度か繰り返し割ってくれました。一度も失敗することなく、本当に簡単に割ってしまうので私もまねしてみましたが、当然できるはずもありません。
「これはいったい何?」と確認すると、「空手の技だよ」といいます。
「すごい。空手って」と私はそのとき思いました。
父親が正式に空手を習ったことがあるのかどうかは、実は未だに謎だったりしますが、その答えの一端を父の本棚に見つけることができました。父の本棚に置いてあったのは、この『空手道入門』でした。遠山寛賢という独特の風貌をした先生の写真を見て、子供心に「この人はただ者じゃない」という感想を持ったことを覚えています。もともとソフトカバーの本だったと思われますが、私が見たこの書籍はすでにカバーが失われていました。
多分私が初めて目にしたのは小学校低学年のときだったはずですが、漢字だらけで、分解写真に「一の呼称で」などと意味がわからない解説があったにもかかわらず? かなり楽しんで読んだ記憶があります。特に興味深かったのが、錆びたボルトを素手で回したエピソードと、米兵数人に殴りかかられたが、呼吸法で跳ね返したエピソードですね。
その後私が高校の空手部で剛柔流空手を習うようになり、この書籍を何度も読み返すようになりました。ほかの学校の生徒が実演する型と、この書籍で紹介される型には大きな違いがあるなあ、と感じたのを覚えています。最近見た本部朝基先生の写真などと照らし合わせても、やはり私のライバル校の生徒が実演していた型はやはり競技用に改変されているのだろうと感じます。もちろん、私自身が練習していた剛柔流の型も「競技のときはこうしなさい」という指示があったので、道場での練習はまたことなるのかもしれませんが。
この書籍で遠山寛賢先生は、「空手に流派の成立つ理屈がない」「多少の相違は認めるにしても、これは空手修業上、当然の使いわけ」と述べています。確かに本質的な面ではそういうとらえ方もあるのかもしれませんが、私自身はやはり団体によって一つ一つの技の軌道もコツも、かなりの相違があるため、この書籍が出た当時であっても「流派が存在すること」を完全に否定することは難しかったのではないかと思います。

現在は、この書籍は父から譲り受けて私の蔵書に収まっています。
この書籍にはハードカバー版(1969)が存在しますが、こちらは1987年に古書店で入手しました。現在、傷みが激しい父親からもらった書籍の変わりに、こちらのハードカバー版を読むようにしています。

先日、妻の実家に遊びに行ったとき、川原で石割をして楽しみました。このとき、5歳の次男も、薄い石ではありましたが石割を成功させてしまい、びっくりしました。長男が初めて石割をやったのも7歳のとき。私が5歳や7歳のときからは考えられないことですね。私も負けられないので、私の前腕より太いような石で試してみました。川原の石は全体的に割りやすいですけど、難易度は石の種類によりますね。砂岩は簡単に割れますが、きめの細かい石は何発もたたきつけないと無理でした。
私が幼児のときにあこがれていたことに5歳と11歳の子供たちがチャレンジする。なんか、不思議な感じです。

2007/05/20追記
今、私が所持している2冊の書籍を改めて引っ張り出して調べてみました。
父が持っていた書籍は『空手入門』というタイトルで、序言の前のページには「空手道入門」と刻印されています。発行所が「元文社」となっていて、発行日は1968年4月10日です。私が持っているハードカバー版が『空手道入門』というタイトルで、発行所は「鶴書房」となっています。こちらは1969年5月10日発行。
両者の中身は同じで、掲載されている写真は、個人的には前者のほうがきれいであるように感じます。
「元文社」版の前書きには「鶴書房編集部の各位に対し厚く感謝の意を表する」とあります。また、元文社と鶴書房の住所は同じですから、1968年前後に名前や経営が変わったのかも知れませんね。いずれにしても、鶴書房はすでに存在しないそうですから、事実関係が確認できません。

沖縄空手STYLE―格闘技通信SPECIAL
4月 30th, 2007 by icofit

沖縄空手STYLE―格闘技通信SPECIAL (B.B.MOOK―スポーツシリーズ (427))

私は高校時代に剛柔流空手を習っていて、道場には東恩納寛量流祖、宮城長順開祖、そして比嘉世幸先生の写真が飾ってありました。こんなこともあって、今でも「空手」「沖縄空手」についてはひとかたならぬ興味を持っています。
この書籍も上記のような理由で購入した一冊なのですが、私にとっては大きな見所が二つありました。それらはいずれも、女性空手家の技量と可能性に関わる記事です。
まずは、小林流神人武館の女性師範の演武をカラー写真で紹介したページに釘付けになりました。電話帳の1ページをボクシングのパンチングバンテーブルからつるして、ひもをくるくる回して不安定な状態にします。その紙に突きを入れ、2つに裂くのです。さらに2分の1になった紙に突きを入れて、それも裂いてしまう。
これはとても難しい技だと思いますが、なによりすごいと思うのは、顔の表情が全く変わっておらず、あごの力も抜けていることですね。
私も5センチくらいの距離から突く寸勁という技術でローソクの火を消したり、同じく寸勁で30cm離れたところに立てた鉛筆を倒すなどの練習を一時行っていましたが、半分の大きさの大きさの電話帳の紙を切れるかどうかはわかりません。ちなみに、昨日厚めのインクジェット用紙で試してみたら、残念ながら寸勁では切れませんでした…。固定に使うクリップの重さや紙の厚さの違いもあると思いますが、おそらくはかなり難しいデモンストレーションになるのではないかと思います。

もう一つ私が驚いた記事は上地流山会の師範の娘さんの三戦(サンチン)の演武の紹介ページです。単なる型の紹介というのではなく、女性がその型を行っている状態で、別の男性の門弟が思いきり膝の上の外側の部分を思い切りローキックで蹴っているのです。写真の蹴り方で見る限り、私が蹴られる立場だったら一発で倒れますね(笑)。脇を正拳で突かれても表情を変えていません。
私も高校時代に三戦を毎日練習していたころはよくいろいろな場所を突かれたり蹴られたりして、私は比較的打たれ強いほうだと思っていましたけど、当時はまだまだ伝統空手にフルコンタクト空手の技術を取り入れるような風潮もなくて、回し蹴りを思い切り蹴られたことはなかったです。

これらの女性お二方の記事を見て、女性のポテンシャルのすごさに改めて驚嘆しました。

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